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仕事に打ち込む横顔。
濃い睫毛と長い前髪が影を作って、偽物の様に綺麗だった。
真剣に見詰める視線の先には、準備稿の台本がある。
真っ直ぐにのめり込むその姿は憧れこそすれ憎むものではないけれど。
こんなに俺が見詰めているのに、全くの無視とはどう言う事だ。
「なぁ、こぉちゃん」
「……」
無視。寧ろ、聞いていない。
今剛の家のリビングのソファで、その主に凭れながら仕事をしている事すらとうに忘れてしまっているのだろう。
目の前の事に全力に、が信条の彼なので。
だが、しかし。
「こぉいちさーん。今何時か知ってる?」
四時やで、と耳に直接吹き込んでやると、やっと反応を示した。
「……な、に」
まるで今呼ばれたみたいに、剛を振り返る嘘の無い瞳。
それに毎回ご丁寧に騙されている事には気付いている。
唯、気付いているのと改善出来るのとは全く話が別だ。
「もぉ明け方やで。寝た方がええんちゃうの?」
「……今なんじ、」
「三時五十二分」
「え。……え。やって、さっき……」
十二時前だったやん、と言う呟きはいっそ聞き流してしまいたかった。
「光ちゃん集中してたからなあ」
何もせずそれに付き合っているのは、結構しんどいんですけどね。
でも、無防備に当たり前みたいに身体を預けて来るから。
結局何も言えず、こんな時間になってしまった。
「ごめん。寝る、やろ。ごめん」
「ええよ、別に。こーいちさんと違って、今日は午後からやしな」
仕事の前に光一を稽古場まで送り届けると言う任務がある。
別にちっとも怒っていないし、こんな事で感情をいちいち揺らしていたら身が持たない事は充分学習していた。
だから平気なのに、光一が申し訳なさそうに見上げて来るから。
何か、意地悪をしなくてはいけない気分になる。
「ホンマにお前はのめりこむなあ」
少し痛いみたいに眉を顰めて、光一の手首を捕らえた。
聞け、の合図。
人の話を余り聞かない人だ。
聞いて欲しい話をきちんとしたい時は、こうやって合図を送るのが癖になっていた。
だから光一は条件反射で、人の目を覗き込む。
その真意まで見通せる様に。
「時々、仕事取り上げたくなるわ」
そんで、この部屋閉じ込めんねん。籠の鳥。
光一が嫌がる束縛を嫌と言わせない程度に低音で囁いた。
怯えて竦むのが分かる。
大事にされ過ぎる事が苦しいと、彼は本能で知っていた。
「……仕事、取り上げられたら、困る」
「そりゃ、そやな」
生活出来んし。仕事はしないとあかんなあ。
当たり前の事を何食わぬ顔で同意してやると、困った様に頬を染める。
言いたくない事を口にしようか迷っている反応だった。
言ってしまえば良い。全部。
俺が傷付こうが呆れようが、躊躇わずに。
「しごと、ないと、駄目やん」
「そやな」
頷いて、犬みたいに光一の頬を舐める。
懐く仕草。
「おれ、今更別のことなんかできんし」
「そぉやろね」
F1位かな。仕事になりそうなの。
でも結局メディアと言う媒体から離れられる人ではない。
「俺、男やし」
その言葉に思わず笑う。
相変わらず古風な観念。可愛い彼の発想。
「やから、困る」
「ぉん」
本当に言いたい事は、まだ音になっていない。
言ってしまえば良い。
どんな言葉やって、お前のやったら受け止めてみせる。
「俺、仕事人間やん」
「知っとる」
「その俺から、仕事取り上げたら、」
「うん?」
その先を躊躇って、口を閉じる。
もう一度頬を舐めて、それから柔らかい髪を掻き混ぜて。
安心出来る様、唇にキスを。
全く、手間の掛かる子程可愛い、と言うやつか。
「……俺、ほんま困る」
少し素直になった顔。無防備に剛を迎え入れる表情。
その先を促す為に唇を触れ合わせると、下唇を辿ってからゆっくり離れる。
焦点の合う限界点で見詰め合った。
居たたまれない表情で、それでも意を決した様に。
「……俺から仕事取り上げたら、剛しか、残らんやん」
寂しそうに、ぽつりと。
呟かれた言葉の攻撃力に。
剛は眉を顰める。
そして、その薄い身体をきつく抱き寄せた。
きつく、きつく。抱き締める。
「お前、それ反則やろー」
さっきまで自分の存在等忘れて没頭していた事も。
八時に稽古場に到着しなければならない事も。
今だけは忘れた振りをして。
問答無用でソファに光一を押し倒す。
手に負えない程可愛くて凶悪で酷い恋人だと、口付けの度に逃げる身体を抑え込みながら思った。
真っ向勝負ばかりの剛。
このままじゃ駄目だと思った。
理不尽も矛盾も全て飲み込んで笑っていなければならないこの世界に、剛は染まる事が出来ない。
真っ直ぐな瞳、正義を貫く意志。
自分を守る、怖い位の背中。
そのどれもが大切で、どれもが無くしたくないものだった。
決して自分には持ち得ないもの。
剛は、憧れだった。
だから。
俺は決めた。
俺の好きな剛を守る為に。
彼が彼のままでいられる様に、自分が汚い部分を背負おうと。
剛の代わりに、剛の分までこの世界の影を醜悪さを請け負えば良いのだと思った。
そうすれば、剛は綺麗なままでいられる。
俺は、今更汚れなんて怖くなかったし、そんなもの流してしまえるから。
だから、どうか。
剛がいつまでも剛のままでありますように。
光一が、あの光一が、唯の一歩も動けずに蹲っている。
限界だった。
世の中の理不尽も矛盾も全て受け入れた振りをして、笑い続けていた彼が。
隣にいる俺の不甲斐無さばかりに、無理をし続けた脆い身体が。
限界を訴えていた。
楽屋の片隅で膝を抱えている光一を見詰める。
泣けない瞳で自分の手に視線を落としたまま動かない。
その造りは彫像の様に美しかったけれど。
感情のない置物等要らない。
ゆっくりと彼の元へ近付く。
俺に出来る事は。
彼の隣にいる事。
彼の為に在る事。
「光一」
見詰めた手に自分の指先を重ねる。
冷たい手は、何の感情も映さない。
手を取っても表情の変化を生まない光一が悲しかった。
彼はこんな無表情な人じゃない。
良く笑い良く怒り、そしてひっそり悲しむ人だった。
愛されて育ったからこその豊かな感情表現。
それに惹かれたのは自分だった。
彼の為に。
ずっと黙って支え続けてくれた彼の為に。
今、自分が出来る事。
「俺は、何をしたらええ?」
辛そうな瞳を見たくなかった。
白く冷えた頬が苦しかった。
「……」
ゆっくりと焦点を合わせた瞳が剛に向けられる。
もしかしたら、あの暗闇から救い出してもらった時の俺もこんな感じだったのかも知れない。
今ではもう胸が痛む程度で収まる様になってしまった、過去の自分。
あの時必死で前を向いていた人が、こんなにも辛そうな目をして。
噛み締めた唇が無防備に緩んだ。
見詰める瞳が俺に縋る。
「……隣に、おって」
そんな目を見せた事等ないのに。
眉を顰めて苦しそうに呟いた。
重ねた手を握る仕草は幼い。
光一の願う事は、いつも容易くて少し難しい。
子供の夢の様な慎ましさと広大さを併せ持っていた。
「俺を、好きでいて」
--愛していて。
それだけで光一は救われるのだろうか。
あの時暗闇から伸ばしてくれた手は、もっと必死だった。
こんな、柔らかく優しく握られる感触等ではなかった筈なのに。
真っ直ぐな視線を受け止めて、ああそうか、と思う。
彼はまだ、圧倒的に子供なのだ。
剛ばかりを早く大人にしなければと焦り続けて、自分の事を忘れてしまった。
その瞳の揺れは、迷子と同じだ。
その願いは、恋情よりも単純で直裁だ。
けれど。
思いの深さは、恋情と同じだった。
子供の心のまま深い恋を抱くのなら。
「ええよ。ずっと--愛したる」
俺は唯、彼と共に在るだけだ。
収録が終わって、いつもの帰り道。
いつもと違うのは運転席にいるのが剛で、自分が助手席に座って起きている事だろうか。
一人だけの番組の収録がある時、剛は気紛れに迎えに来てくれる。
仕事が終わって、彼がいてくれるのは嬉しかった。
甘やかされるのは嫌いだけど、剛なら良い。
光一の部屋に送られて当たり前の様に一緒に入って来た剛は、当たり前の様に一緒に風呂に入ろうとする。
性的な意味がなくてもどうしても恥ずかしい光一は、いつも拒むのだけど。
それが聞き入れられた試しは、余りなかった。
どんな表情をしていたら良いか分からなくて、俯いたまま洗われていると不意に剛が顔を覗き込む。
吃驚する程優しい眼差しで見詰められた。
「…な、なん」
普段は見通せない瞳の奥までが疑い様もなく確実に優しさを滲ませていて、光一は困ってしまう。
甘やかされるのも優しくされるのも彼になら良いけれど、だからと言って素直にその愛情を受け取れるかと言ったら話が別だ。
表情と同じままの声が浴室に反響する。
広がった甘さに肩を竦めた。
「なんや、今日は変に緊張したまんまやなあ」
感心したみたいに言われて増々困ってしまった。
緊張なんてしてない、収録が終わってからもう大分時間は経っているのだ。
そんな筈。
「目が吊ったまんまやで」
緊張してる時の顔、と囁かれて泡のついた手で目元を撫でられる。
それにぴくりと反応を返すと、興味を引かれた様に剛が目を眇めた。
「おいで」
まるで幼い子にするような声の響きだった。
けれど、その手は強引に光一を抱き寄せる。
よしよし、と頭を撫でられて泡のついたままの背中を大人の動きで撫で上げられた。
優しい手管に抗えない。
緊張するのは仕方ない事で、この仕事を続けて行く以上慣れるしかなかった。
どんな人間だって緊張しながら生きている。
当たり前の事なのに。
時々剛はこうやって、世の中の全ての事から光一を甘やかそうとした。
鼓膜に直接注ぎ込まれる甘い言葉と、無遠慮に這い回る手の温度。
どれもが要らなくてどれもが必要で。
訳が分からない。
分からないまま、光一は剛の背中に手を伸ばした。
縋れるものは他になかった。
剛の指先が伸ばされる。
こちらの反応を窺う様に、ゆっくりと。
俺が応えなければそのまま離れて行く、選択権を委ねた狡い誘い方だった。
優しい視線が、苦しい。
剛を好きになった始めの頃は、今とはちょっと違っていた様な気がする。
『KinKi Kidsの堂本剛』を、たった一人の相方である彼を、引き止める為に縋った感のある恋は、もっと打算的だった。
こうすればこうなる、と言う計算式のまま手を伸ばした。
離したくなかった弱さは、確実に子供のそれであるが。
幼かったあの頃の方が自分はもっとあざとかった筈だ。
それなのに、今は。
唯の人間として、仕事の枠なんかとっくに越えた領域で、飽きる位傍に居続けた堂本剛そのものを愛していた。
その存在ごと、全部好きだった。
自分でも笑える程に、剛ばかりが大切だった。
まるで引力の様に、差し出された指先に手を伸ばす。
窺う様な真似をしなくたって結果がどうなるか位、この人は分かっているだろうに。
意地が悪い。
光一の手を握り締めた剛は、さっきの優しい表情なんてなかった振る舞いでその薄い身体を引き寄せた。
簡単に収まる身体が柔なのは、相手が剛だからだ。
唇だけで笑むその表情は、怖い位なのに。
俺はこんなにも、馬鹿みたいに、この男に恋をしていた。
多分、一生ものの命懸けの恋を。