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つよし。
小さな声が聞こえる。
耳に届く事の無い、心に響く声だった。
つよし。
まただ。
背中でその声なき声を受け止めて、剛はひっそり笑った。
部屋には、自分の指先が奏でる弦の音と、魚達が生きる為の空気の弾ける音だけ。
静かな空間で、彼の声が響く。
つよし。
つよし。
つよし。
声に出すと言う事を、彼は結局覚えなかった。
それは弱さだと決め付けて、孤独のまま誰にも理解されない事を望んで生きている。
独りで良いのだと。
柔らかく零す彼の笑顔が優し過ぎて、泣きそうになった事を不意に思い出した。
可哀相な人だと思う。
彼の力になれれば良いけれど、残念ながら自分は役不足だった。
だから、せめて。
彼がこの世界から消えてしまわないように、傍にいてやりたい。
「光一」
「……ん?」
「こっちおいで」
ギターをケースに戻してから、ゆっくりと振り返る。
其処には膝を抱えて広いソファに小さく納まる相方の姿があった。
俺の家になんて寄り付きもしなかった癖に、最近こうして何をするでもなく来る事が多い。
原因は分かり過ぎる位に分かるから、敢えて何も言わなかった。
光一にだって呼吸をする場所が必要なのだから。
手招きすれば、嫌そうに眉を顰めて首を振る。
「いや」
「なんでやの」
「だって……」
「抱っこしたるよ」
両腕を広げて笑顔を作れば、更に身体を丸めて拒絶を示す。
猫は飼い主に懐かずに家に懐くと言うけれど、まさにその通りだなと頭の片隅で微かに考えた。
……いや、違うか。
こいつは飼い猫なんて可愛いもんじゃない。
「俺、子供やないで」
「子供みたいなもんやんか」
「何処が」
「僕にとっては、光ちゃんはいつまでたっても可愛い子ですよ」
「……むかつく」
言いながらも、諦めたように抱えた膝を離して、フローリングにぺたりと降りた。
四つん這いになって近付いて来る姿に苦笑を零す。
これが三十前の男だと言うのだから、世も末だった。
傍まで来た光一の頭を撫でてやると、腕を引いてギターの代わりに抱える。
彼の身体は冷え切っていて暖まる事がなかった。
体温を分け与えるように、ぎゅっと抱き締める。
他人を拒絶して生きて来た身体は、僅かに怯えて竦んだ。
「大丈夫やで」
「……なにが」
「全部やよ」
「なにそれ」
「ええんや。此処にいる間は」
「つよし……」
表情なんて見なくても分かるから、深く抱き込んだ。
視線を合わさなくなると途端に素直になる光一を知っている。
静かに息を吐き出して、体重が預けられた。
子供をあやすように、ゆっくりと薄い身体を揺らす。
揺りかごの原理。
やっと部屋に静寂が広がった。
光一の雄弁な声は聞こえない。
助けてとも苦しいとも言わない癖に、何度も何度も名前だけが綴られた。
気付かないと思っているのだから、彼も相当鈍い人間だ。
「なあ、こぉいち」
「んー」
「……一緒に、住むか?」
一瞬の空白。
空気が濃度を増して息苦しくなる。
僅かに揺らしている身体は何の反応も示さなかった。
「いや」
「何でよ」
「やって、魚嫌いやもん」
「可愛いのになあ」
「部屋散らかってるし」
「案外落ち着くで」
「寝汚いし」
「お前に言われたないわ」
「……いやや」
「何で」
「……そんなに甘やかさんで」
小さく零れ落ちた言葉を丁寧に受け止めて、冷たい身体をきつく抱いた。
結婚しても良いと思う位大切なのに、光一はその全てを拒絶する。
声なき声だけが、いつまでも愛を乞うていた。
「なら、もうちょい近くに越しといで」
「それは、考えとく」
「そうしなさい。こっから帰るんしんどいやろ」
よしよし、と頭を撫でて少しだけ身体を離した。
顔を覗き込めば、焦ったように視線を逸らす。
光一のコミュニケーション能力の低さは、才能の域だった。
「俺、もう帰る」
「泊まってけばええのに」
「阿呆か」
「大丈夫なん?」
「平気」
目を伏せたまま、腕を突っ撥ねられる。
離して、の合図だった。
素直に身体を解放して立ち上がらせた。
テーブルの上に放られた携帯と煙草と車のキーを渡してやって、玄関へと腕を引く。
光一は何も言わなかった。
だから自分も何も聞かない。
今更自分達の間で必要な言葉など存在しないのだから。
「明日は?」
「午後から。剛は?」
「阿呆な子やね。一緒やろ」
「……知ってんなら聞くなや」
玄関で靴を履いて振り返った光一の目線が下にある。
段差の分だけ低くなった彼は、必然的に上目遣いになった。
意識してではない仕草に愛しさを覚える。
空気のような存在だと思った時期もあるのに、今はこんなにも躊躇なく大切だと思えた。
「ありがとな。帰るわ」
「なあ、」
「今度は何」
「ヨリ、戻そか」
「……つよし」
呆然と立ち尽くした光一は、躱すべき言葉を見失っている。
何度も言おうと思って、彼の黒い瞳を見る度躊躇した。
二人で過ごした年月は長いのに、二人愛し合った時間はほんの僅かだ。
どうして、もっと優しく愛してやれなかったのだろう。
ふ、と光一が息を吐く。
繊細な仕草だった。
真っ直ぐ見上げた瞳に悲しみはあっても迷いは存在しない。
「あんな、剛」
「うん」
「俺、お前と付き合ってた時が一番苦しかった。もう、あんなしんどいのはこりごりや」
「光一……」
「ごめんな。俺は今でもお前が好きや。でも、一緒にはいられない。剛が一番分かってるやろ」
手を離したのは、自分だった。
愛しているのに、何度も傷付けて拒絶して絶望ばかりを与えて。
最低だったと思う。
あの頃は、光一の事が何も分からなくなった。
怖い、と初めて思ったのだ。
ずっと理解出来ていた筈の存在が、全く未知のものになってしまったと。
あんなに近くにいて、けれど何よりも遠ざけてしまった。
距離を置いてやっと、光一の事は手に取るように理解出来る。
何を考え何を望んで、何を恐れているのか。
理解出来る事が今の関係で良いと教えてくれていた。
彼と愛し合う事は出来ない。
「ホントは、お前が苦しくないように抱き締めてやりたい」
「今だって充分ぎゅってしてもらったで」
「何処にも寂しい事なんてないって、安心させてやりたいのにな。俺には役不足やわ」
「剛、平気やで。あん時より苦しい事なんてない。剛以外に俺を苦しめられる奴はおらん」
嘘だと分かっていて、光一の笑顔に気圧された。
何も言えない。
圧倒的な白で全てを覆い隠して、彼は綺麗に笑んだ。
「光一」
「大丈夫や、大丈夫」
噛み締めるように呟いて、子供の仕草で腕を伸ばした。
段差のせいで腰に抱き着いた光一の身体は、やっぱり冷たい。
彼の愛情を零さないようにとしっかり抱き締めた。
薄い背中。
此処にどれだけのものを背負っているのか。
「生きていてくれたら、ええ。それだけで良い」
「こうい……」
「死んだらあかんよ。死んだら、其処で全部終わってまう」
二人で苦しんだ時期、何度も光一が囁いてくれた言葉だ。
「愛している」の代わりに、彼は「生きろ」と繰り返した。
俺の隣で生きろ、と。
あの頃は、強い言葉だと思っていたのに。
久しぶりに聞いたそれは、苦痛と臆病の間で震えていた。
彼は孤独にしか生きられないけれど、でも傍に誰かが必要だったのだ。
一緒に生きられなくても心を分かち合わなくても、手を伸ばせる場所。
光一の弱さを知っていたのに、それにすら目を向けられなかった幼い自分はもういない。
生きる事。
必要なのは、唯それだけ。
「……お前を残して死ねる訳ないやろ」
「最期まで面倒看てくれるんか」
「当たり前やん」
くぐもった声で小さく笑う。
自嘲気味な響きだった。
冷え切った身体が哀しい。
「きっと俺、独りぼっちやからなあ。剛に遺言書いとこかな」
「……長生き、しろや」
「そんなん、約束出来るかい」
出来ない事は約束しない。
光一の誠実で不器用な生き方が、こんな時ばかり胸に迫った。
何処にいても、生きてさえいれば。
彼の願いはささやかで、自身を省みなさ過ぎる。
大切な人の事ばかり願って、独りきりの自分の寂しさを見ないようにしてしまった。
「じゃ、ホンマに帰るわ。朝になってまう」
「そうやな。俺も光ちゃん帰ったら寝よ」
「うん。おやすみ」
「事故んなや」
「気を付けるー」
言いながら扉を開けると、あっと言う間に出て行った。
彼はこの部屋ですら涙を見せない。
ロックを掛けてリビングに戻れば、水槽の音だけが広がっていた。
もう一度ギターを抱えて適当にメロディーを奏でる。
つよし。
微かに残った彼の声を拾い上げた。
もしかしたら、今もまだ呼ばれているのかも知れない。
追い掛けてその背中を抱いてやれれば良かったのに。
戻れない場所まで来てしまった。
自分では彼を支えられない。
つよし。つよし。
何度も呼ばれているのに。
声は、聞こえるのに。
つよし。
まるで、手負いの野生の獣だった。
怪我をしているのは分かるのに、触れてしまえば野生に戻す事は叶わない。
何も出来ずに唯見守るだけ。
本当は手を伸ばして傷に触れて、苦しかったねと言ってやりたい。
森になんて返さなくても、一生自分の傍にいれば良いと。
そんな覚悟を持てないまま、此処まで来てしまった。
優しくする事も背中を押す事も出来ない。
彼の孤独は深くなって行くばかりだった。
凛と伸びた背中が美しいのは孤高だからだ。
つよし。
その心は心細く名前を呼んでいるのに。
部屋の中に残された乞う声に、剛は一人涙を零す。
出来る事なら、彼の哀しみを全て背負ってやりたかった。
愛してる。
生きていて欲しいと痛切に願った。
Irastorated by yuchi sama
孤高の人。
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2011/02/11 halfwaytale Trackback() Comment(0)
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