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2025/05/24

halfway tale 58





 つよし。
 小さな声が聞こえる。
 耳に届く事の無い、心に響く声だった。
 つよし。
 まただ。
 背中でその声なき声を受け止めて、剛はひっそり笑った。
 部屋には、自分の指先が奏でる弦の音と、魚達が生きる為の空気の弾ける音だけ。
 静かな空間で、彼の声が響く。
 つよし。
 つよし。
 つよし。
 声に出すと言う事を、彼は結局覚えなかった。
 それは弱さだと決め付けて、孤独のまま誰にも理解されない事を望んで生きている。
 独りで良いのだと。
 柔らかく零す彼の笑顔が優し過ぎて、泣きそうになった事を不意に思い出した。
 可哀相な人だと思う。
 彼の力になれれば良いけれど、残念ながら自分は役不足だった。

 だから、せめて。
 彼がこの世界から消えてしまわないように、傍にいてやりたい。
「光一」
「……ん?」
「こっちおいで」
 ギターをケースに戻してから、ゆっくりと振り返る。
 其処には膝を抱えて広いソファに小さく納まる相方の姿があった。
 俺の家になんて寄り付きもしなかった癖に、最近こうして何をするでもなく来る事が多い。
 原因は分かり過ぎる位に分かるから、敢えて何も言わなかった。
 光一にだって呼吸をする場所が必要なのだから。
 手招きすれば、嫌そうに眉を顰めて首を振る。
「いや」
「なんでやの」
「だって……」
「抱っこしたるよ」
 両腕を広げて笑顔を作れば、更に身体を丸めて拒絶を示す。
 猫は飼い主に懐かずに家に懐くと言うけれど、まさにその通りだなと頭の片隅で微かに考えた。
 ……いや、違うか。
 こいつは飼い猫なんて可愛いもんじゃない。
「俺、子供やないで」
「子供みたいなもんやんか」
「何処が」
「僕にとっては、光ちゃんはいつまでたっても可愛い子ですよ」
「……むかつく」
 言いながらも、諦めたように抱えた膝を離して、フローリングにぺたりと降りた。
 四つん這いになって近付いて来る姿に苦笑を零す。
 これが三十前の男だと言うのだから、世も末だった。
 傍まで来た光一の頭を撫でてやると、腕を引いてギターの代わりに抱える。
 彼の身体は冷え切っていて暖まる事がなかった。
 体温を分け与えるように、ぎゅっと抱き締める。
 他人を拒絶して生きて来た身体は、僅かに怯えて竦んだ。
「大丈夫やで」
「……なにが」
「全部やよ」
「なにそれ」
「ええんや。此処にいる間は」
「つよし……」
 表情なんて見なくても分かるから、深く抱き込んだ。
 視線を合わさなくなると途端に素直になる光一を知っている。
 静かに息を吐き出して、体重が預けられた。
 子供をあやすように、ゆっくりと薄い身体を揺らす。
 揺りかごの原理。

 やっと部屋に静寂が広がった。
 光一の雄弁な声は聞こえない。
 助けてとも苦しいとも言わない癖に、何度も何度も名前だけが綴られた。
 気付かないと思っているのだから、彼も相当鈍い人間だ。
「なあ、こぉいち」
「んー」
「……一緒に、住むか?」
 一瞬の空白。
 空気が濃度を増して息苦しくなる。
 僅かに揺らしている身体は何の反応も示さなかった。
「いや」
「何でよ」
「やって、魚嫌いやもん」
「可愛いのになあ」
「部屋散らかってるし」
「案外落ち着くで」
「寝汚いし」
「お前に言われたないわ」
「……いやや」
「何で」

「……そんなに甘やかさんで」
 小さく零れ落ちた言葉を丁寧に受け止めて、冷たい身体をきつく抱いた。
 結婚しても良いと思う位大切なのに、光一はその全てを拒絶する。
 声なき声だけが、いつまでも愛を乞うていた。
「なら、もうちょい近くに越しといで」
「それは、考えとく」
「そうしなさい。こっから帰るんしんどいやろ」
 よしよし、と頭を撫でて少しだけ身体を離した。
 顔を覗き込めば、焦ったように視線を逸らす。
 光一のコミュニケーション能力の低さは、才能の域だった。
「俺、もう帰る」
「泊まってけばええのに」
「阿呆か」
「大丈夫なん?」
「平気」
 目を伏せたまま、腕を突っ撥ねられる。
 離して、の合図だった。
 素直に身体を解放して立ち上がらせた。
 テーブルの上に放られた携帯と煙草と車のキーを渡してやって、玄関へと腕を引く。

 光一は何も言わなかった。
 だから自分も何も聞かない。
 今更自分達の間で必要な言葉など存在しないのだから。
「明日は?」
「午後から。剛は?」
「阿呆な子やね。一緒やろ」
「……知ってんなら聞くなや」
 玄関で靴を履いて振り返った光一の目線が下にある。
 段差の分だけ低くなった彼は、必然的に上目遣いになった。
 意識してではない仕草に愛しさを覚える。
 空気のような存在だと思った時期もあるのに、今はこんなにも躊躇なく大切だと思えた。
「ありがとな。帰るわ」
「なあ、」
「今度は何」

「ヨリ、戻そか」
「……つよし」
 呆然と立ち尽くした光一は、躱すべき言葉を見失っている。
 何度も言おうと思って、彼の黒い瞳を見る度躊躇した。
 二人で過ごした年月は長いのに、二人愛し合った時間はほんの僅かだ。
 どうして、もっと優しく愛してやれなかったのだろう。
 ふ、と光一が息を吐く。
 繊細な仕草だった。
 真っ直ぐ見上げた瞳に悲しみはあっても迷いは存在しない。
「あんな、剛」
「うん」
「俺、お前と付き合ってた時が一番苦しかった。もう、あんなしんどいのはこりごりや」
「光一……」
「ごめんな。俺は今でもお前が好きや。でも、一緒にはいられない。剛が一番分かってるやろ」
 手を離したのは、自分だった。
 愛しているのに、何度も傷付けて拒絶して絶望ばかりを与えて。
 最低だったと思う。
 あの頃は、光一の事が何も分からなくなった。
 怖い、と初めて思ったのだ。
 ずっと理解出来ていた筈の存在が、全く未知のものになってしまったと。
 あんなに近くにいて、けれど何よりも遠ざけてしまった。
 距離を置いてやっと、光一の事は手に取るように理解出来る。
 何を考え何を望んで、何を恐れているのか。
 理解出来る事が今の関係で良いと教えてくれていた。
 彼と愛し合う事は出来ない。
「ホントは、お前が苦しくないように抱き締めてやりたい」
「今だって充分ぎゅってしてもらったで」
「何処にも寂しい事なんてないって、安心させてやりたいのにな。俺には役不足やわ」
「剛、平気やで。あん時より苦しい事なんてない。剛以外に俺を苦しめられる奴はおらん」
 嘘だと分かっていて、光一の笑顔に気圧された。
 何も言えない。
 圧倒的な白で全てを覆い隠して、彼は綺麗に笑んだ。
「光一」
「大丈夫や、大丈夫」
 噛み締めるように呟いて、子供の仕草で腕を伸ばした。
 段差のせいで腰に抱き着いた光一の身体は、やっぱり冷たい。
 彼の愛情を零さないようにとしっかり抱き締めた。
 薄い背中。
 此処にどれだけのものを背負っているのか。
「生きていてくれたら、ええ。それだけで良い」
「こうい……」
「死んだらあかんよ。死んだら、其処で全部終わってまう」
 二人で苦しんだ時期、何度も光一が囁いてくれた言葉だ。
 「愛している」の代わりに、彼は「生きろ」と繰り返した。
 俺の隣で生きろ、と。
 あの頃は、強い言葉だと思っていたのに。
 久しぶりに聞いたそれは、苦痛と臆病の間で震えていた。
 彼は孤独にしか生きられないけれど、でも傍に誰かが必要だったのだ。
 一緒に生きられなくても心を分かち合わなくても、手を伸ばせる場所。
 光一の弱さを知っていたのに、それにすら目を向けられなかった幼い自分はもういない。

 生きる事。
 必要なのは、唯それだけ。
「……お前を残して死ねる訳ないやろ」
「最期まで面倒看てくれるんか」
「当たり前やん」
 くぐもった声で小さく笑う。
 自嘲気味な響きだった。
 冷え切った身体が哀しい。
「きっと俺、独りぼっちやからなあ。剛に遺言書いとこかな」
「……長生き、しろや」
「そんなん、約束出来るかい」
 出来ない事は約束しない。
 光一の誠実で不器用な生き方が、こんな時ばかり胸に迫った。
 何処にいても、生きてさえいれば。
 彼の願いはささやかで、自身を省みなさ過ぎる。
 大切な人の事ばかり願って、独りきりの自分の寂しさを見ないようにしてしまった。
「じゃ、ホンマに帰るわ。朝になってまう」
「そうやな。俺も光ちゃん帰ったら寝よ」
「うん。おやすみ」
「事故んなや」
「気を付けるー」
 言いながら扉を開けると、あっと言う間に出て行った。
 彼はこの部屋ですら涙を見せない。
 ロックを掛けてリビングに戻れば、水槽の音だけが広がっていた。
 もう一度ギターを抱えて適当にメロディーを奏でる。
 つよし。
 微かに残った彼の声を拾い上げた。
 もしかしたら、今もまだ呼ばれているのかも知れない。
 追い掛けてその背中を抱いてやれれば良かったのに。
 戻れない場所まで来てしまった。
 自分では彼を支えられない。
 つよし。つよし。
 何度も呼ばれているのに。
 声は、聞こえるのに。
 つよし。
 まるで、手負いの野生の獣だった。
 怪我をしているのは分かるのに、触れてしまえば野生に戻す事は叶わない。
 何も出来ずに唯見守るだけ。
 本当は手を伸ばして傷に触れて、苦しかったねと言ってやりたい。
 森になんて返さなくても、一生自分の傍にいれば良いと。
 そんな覚悟を持てないまま、此処まで来てしまった。
 優しくする事も背中を押す事も出来ない。
 彼の孤独は深くなって行くばかりだった。
 凛と伸びた背中が美しいのは孤高だからだ。
 つよし。
 その心は心細く名前を呼んでいるのに。
 部屋の中に残された乞う声に、剛は一人涙を零す。
 出来る事なら、彼の哀しみを全て背負ってやりたかった。
 愛してる。
 生きていて欲しいと痛切に願った。






Irastorated by yuchi sama



孤高の人。



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2011/02/11 halfwaytale Trackback() Comment(0)

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