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「お前と後何回、この桜見れるんやろねえ」
言葉が、俺に絡み付く。
逃れられない呪縛だった。
彼女が零す言葉一つ一つが、じわりじわりと俺の身体を浸食して行く。
それでも構わなかった。
俺を産んでくれた彼女を愛する為に、その全てを受け入れる。
滑稽と言われようがマザコンと言われようが構わなかった。
俺には他に方法が思い付かない。
「生まれ変わったら、あんたの子供になれるかなあ」
言葉の全てに同意して、優しく笑う。
彼女の欲しい、弱いだけの子供の振りをして。
守られるだけ愛されるだけ、心臓が辛く痛むのを抑えられなかった。
大切な人だと思う。
出来る事なら、俺の全てで報いたかった。
けれど、それは出来ない事だ。
彼女の言葉が俺を責める棘を持つ。
全てを返す事は無理だった。
どんなに愛されても、俺はもう子供じゃない。
その厳然たる事実を、本当は彼女も自分も気付いていた。
分かっていながら続けるのは、まるでおままごとみたいだと思う。
戻れない場所まで来てしまったのに、過去を懐かしんで立ち竦んだ。
なあ、ごめんな。
俺はもうあかんねん。
たった一人、決めてしまったんや。
俺の全てを渡す人を、自分の生よりも大切な存在を。
もう貴方の腕の中には戻れない。
心臓は、既に彼の手の裡だった。
彼以上に愛せる人はいない。
俺に出来るのは、彼女の傍に出来るだけいる事だった。
何の不安もない様に、安心して愛せる様に。
俺は、光一しかいらない。
そんな傲慢な自分を自覚すればする程、彼女を大事にしたいと思った。
この気持ちに嘘はない。
愛せないから大切にするのだと、言ったらこの優しい恋人は怒るだろう。
自分の事等棚に上げて、もっと一緒にいろ!と家を追い出される筈だ。
だから、彼にも何も言わない。
全てを欺いて、俺の心の中に唯一の人だけを招き入れた。
それが、俺の選んだ生き方だ。
ギターを爪弾く自分の後ろ、寄り掛かったソファの上で丸くなって眠る光一を見上げた。
茶色の髪が目許を覆って、眠る彼の顔が見えない。
子守唄の様に俺の歌を聞く恋人が愛しかった。
他に何もいらない。
俺が欲しいのは、光一と音楽だけだった。
愛する人と、愛する人の為に奏でる音、それだけで構わない。
他の何も、俺の心臓に入り込む余地はなかった。
危険な恋をしていると思う。
結局、彼女には孫を見せてあげられないのだ。
望むものを何一つ与えられない癖に。
本当は、与えたいとも思っていなかった。
傲慢な自分は、醜い。
光一は、こんな俺を知っているだろうか。
知らなければ良いのにとは思うけれど、きっと聡い彼の事だ。
ちゃんと気付いていて、でも見ない振りをしてくれている。
彼は昔から何も言わなかった。
最初は言葉の足りない子だと思って一緒に過ごして来た。
何年も何年も無口になりがちな彼の声を引き出そうとして。
けれどある日、気付いてしまった。
俺が喋れない程落ちてしまった時に、やっとその真意に思い当たったのだ。
光一は、言葉の持つ力を知っている。
それ故に行使しないのだと。
幾ら言葉を発しても伝わらない無力さも、時には人を殺す程の威力がある事も全て。
虚しさも怖さも知っているから、彼は口を閉ざす。
言葉がなければ生きて行けない自分とは一線を画していた。
光一は潔く悲しい心を抱えている。
人に言葉を強要しないのは、傷付いた自分がいるからだ。
言葉に傷付いて死にそうになった過去を恐れている。
それは、俺が付けた傷だ。
可哀相な生き方をしている人だった。
爪弾く手を止めて、ソファーを振り返る。
穏やかな寝顔に安心した。
苦しい感情ばかり与えてしまったのに、それでも彼は真っ直ぐ生きている。
怖い位に。
緩く握られた指先に手を伸ばして、そっと重ねる。
冷えた指先は、彼の優しさを伝えてはくれないけれど。
「愛してる」
何も欲しがらない光一は、愛の言葉も望まないけれど。
言葉がなければ生きて行けないのは、俺だけだ。
彼女の声がリフレインする。
後、何度。
彼と同じ季節を過ごせるだろう。
こうして傍にいられるだろう。
永遠の愛は、誓えない。
それでも一緒にいたいと思う気持ちを、愛したいと願う傲慢を、どう伝えたら良いのだろう。
「光一、愛してくれんでもええから……」
祈るように呟く。
彼の鼓膜を振るわせない様に、密やかに。
その魂ごと大切なのだと打ち明けたい。
「生まれ変わらんで、ずっと此処にいて」
あの、桜の下で。
永遠に俺を待っていて。
ちょっと時期外れになってしまいました(^^;
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今此処でこうして出会っている人が、もう二度と会えない人の様な気がする。
巡り会った運命は一時で、この交錯の瞬間を離れたら出会う術はないのだ。
そんな感慨を自分は良く感じた。
もしかすると生来の情の浅さのせいかも知れないし、幼い頃からこの世界で働いていたが故の処世術かも知れない。
どちらにしろ、自分は人間関係には無防備になれないらしい。
舞台の間は、舞台だけに集中出来た。
他の何もーーそれは睡眠だったり食事だったり、生活の全てを含めてだったがーーいらないと思う。
この時間があれば、彼の事も忘れていられた。
仕事以外で俺の身体を満たす唯一の物。
剛だけは、いついかなる時も離れて行かなかった。
もう俺達の関係は、恋と括って良い物なのかすら分からない所まで来たけれど。
どんな形であれ、彼が自分の運命の傍で生きているのなら良かった。
稽古中、またあの感慨が頭を占め始める。
もう二度と会えない人。
一晩宿を共にしても、其処を旅立てば生きている間には会う事がない。
だからこそ人と人との出会いは大事に噛み締めなければならないのだ。
「一期一会」の意味を思い出して、柄でもねぇなと一人ごちる。
男性のダンサーと話しながら、この人とも今度はいつ会えるのか分からないと思った。
狭い世界で生きているのに、この劇場を離れたら会う事もない。
辛いとも悲しいとも思わないけれど、最近良く考えてしまうのは年を重ねたせいだろうか。
人との出会いが、大切なものだと気付き始めた。
今まで通り過ぎて来た人達の大切さを思ったからかも知れない。
此処で一緒に踊っている人も番組で共演した人も同じ事務所の後輩でさえ。
擦れ違った運命は巻き戻る事もなく過ぎて行く。
今思っても会う事なんて出来なかった。
分かっていたのに、一人で生きたいと願ったのは自分だ。
仕方のない事だった。
俺の掌に抱えられるのはほんの少しだけで、後は全て指の隙間から零れ落ちる。
離れて行く運命を引き留める方法は知らなかった。
休憩の時間を抜け出して電話を掛ける。
出なくても良いと思った。
俺の胸の内のどうしようもない感傷を彼は知らない。
此処で出ないのなら、そのままにしよう。
またいつか、落ち着いたら会えるだろうし。
けれど、こんな時ばかりきちんとコールが途切れるのは、自分達の運命が交わっているからだろうか。
安堵と後悔と痛みが、同時に胸を占めた。
「もしもし」
「……」
「光一?どしたん、電話掛けて来るなんて珍しなあ。お疲れさん」
「……ん。剛、仕事中やった?」
「まあ、ぼちぼちな。別に平気やから話してええよ」
先回りをされて黙り込む。
忙しい時間を邪魔したらどうしよう、とか俺のいない時に俺が入り込んだら迷惑じゃないだろうか、とかほんの些細な感情の揺れを彼は簡単に汲み取った。
ちゃんと言葉に出して大丈夫、と言ってくれる彼が愛しい。
「もうちょいで始まるなあ」
のんびりした剛の声。
彼はいつからか無理をし過ぎる俺を叱る事も心配する事もしなくなった。
それは、見放されたのではなく見守る事を決意した彼の強さだ。
「うん。今年は結構準備出来てるから良い感じよ」
「そぉか。時間出来たら見に行くわ」
「あんま無理せんでええよ」
「阿呆。俺がお前の舞台見に行かんかった事あるか」
自分達の活動のスタンスは決まってしまって、今更後戻りは出来なかった。
剛は音楽、光一は舞台、お互いのフィールドに踏み込む事等もう。
だから俺達は、それぞれの距離で互いを見守る。
依存の時期は過ぎた。
「剛のアルバムは?」
「楽しく作ってるわ。やっぱ良いアレンジャーついてもらうと音楽広がるな」
「十川さん、凄いもんなあ」
「ぉん、ほんま凄いで」
子供みたいに熱の篭った声は、すっと耳に染み込んだ。
ーー彼には、不安を覚えた事がない。
「来週、収録あるんよ。知ってた?」
「え、知らん。マネージャー教えてくれんかった」
「ああ、そしたら言うたらあかんかったか。あの人、光一に飴と鞭使うからなあ」
「なんやの、それ」
「ん?光一さんを追い詰めずに、良い仕事をしてもらおうって言うマネージャーの気遣いの話や」
「もぉ意味分からんでー」
言って、笑った。剛との会話は心地良い。
彼は、一宿の後世界の何処へ歩いて行っても必ず巡り会える人だった。
今日離れても、明日にはきっとまた出会える。
人との関係を余り信用していない自分が、何の根拠もなく信じられる事だった。
剛は、どんな時でも傍にいてくれる。
離れた場所にあっても、最後の瞬間には必ず。
「じゃあ、僕も光一さんに飴をあげよう」
「何?」
「今日は何か言いたいことあったんやろ?」
「……そんなんない」
「相変わらずやねえ。舞台ん事でお前の頭一杯なんやから、余計な事は出してまい」
「剛」
「ええよ。今度のは、結構小難しい事伝えるんやろ。したら、色々考えてもしゃあない」
甘やかして欲しい。そんなに甘やかさないで。
真逆の感情が心臓に押し寄せた。
伝えた言葉を、剛は厭わないだろうか。
俺はいつまでもリアリストになり切れない。
もしもやいつかを、延々と思い巡らす弱さがあった。
そんな俺でも、剛は受け入れてくれる?
「……剛は、怖くないなあって思ったん」
「うん」
ゆったりと受話器の向こうで頷いた彼は、俺の言葉等分かっていないだろうに。
全てを見通す寛容さで俺を許す。
足りない言葉も不安も我儘も、決して強い人ではなかったのに、ちゃんと包み込んでくれた。
剛は優しい。
「俺は、誰といてももう会えないんやと思うと苦しくなる。此処から離れたら、きっと会えへん。誰も」
「うん」
「でも俺は、それをどうにかしたいと思ってる訳でもないんや。離れて行くんは仕方ない。皆自分の人生を歩いているんやから」
言葉を止める。
俺は変な事を言っていないだろうか?
伝えたい感情を上手く表現出来ないのは、舞台に立つ人間にとって致命的だった。
多分、俺はこの仕事に向いていない。
彼の様に表現者にはなれなかった。
けれど、例え剛がどれだけ聡く俺の気持ちを汲んでくれても、自分で言葉にしなければならないのだ。
俺達は、一つじゃない。
伝えなければ届かない愛情があった。
「俺は今を一生懸命生きたい。今一緒にいる人を大事にしたい。けど、未来に一人でも構わんのや」
「うん、光一が精一杯なんは知っとるよ。俺はいつもお前ん事見てる」
優しい言葉は痛い。
呼吸が上手く出来なくなりそうだった。
いつか俺はお前の愛情で窒息死するかも知れん。
もしかしたら、それはそれで幸福なんかな。
「俺は、一人で生きるの怖くない」
「……うん」
「でもそれは、結局一人じゃないのを知ってるから怖くないんやと思う」
「?」
「失わない人がいるのを知ってるから、怖くない。剛は、怖くないんや」
受話器の向こうで呼吸が止まったのが分かった。
俺より先に息出来んでどうすんの。
こんな事を告白している自分の方が、死にそうな位やのに。
「光一、」
「誰を失っても怖くないんは、剛がいるから。剛が怖くないんは、お前が俺の傍から離れないんを知ってるから。一人で生きられるんは、俺の声を聞いててくれるから」
「声?」
「うん。声。俺が呼ぶ、声」
「ああ」
「聞いて、くれるやろ?」
「当たり前や」
少しの躊躇もなく頷かれる。
剛のこの強さがあるから、俺は怖くなかった。
「俺が電話したんはな、」
「ん?」
「剛にお願いしたかったからなん」
大切な願い。臆病な願いなのかも知れない。
もしくは、言わなくても良い類いのささやかな願い。
「俺が呼んだら、来て。最期の時、絶対呼ぶから。何処にいても、来て欲しい」
「……そんなん、すぐ行くに決まってるやろ。最後にお前を抱き締めるんは俺や」
「良かった」
安堵して、携帯を握り締めた。
彼が約束をしてくれるのなら、この感傷も抱いたまま生きて行ける。
何処にいても誰といても、怖くなかった。
「光ちゃんは相変わらずつよちゃんの愛を信じてませんねえ」
「そんな事ない」
「いやいや、よぉ分かった。わざわざ言わんでも良い事お願いされる位、信用ないんや」
「違うって!」
「もうええよ。今日、直接教えたる」
「は?」
「つよちゃんの愛がどれだけ本物か。ちゃぁんと思い知らせたる。夜公演終わるまでには行くから、待っとるんやで」
「剛、スケジュールは!?」
「そんなん、どうにでもする。俺は今、名誉毀損でお前ん事訴えたい位やわ」
「剛、」
「一緒に帰って、一緒にご飯食べよ」
甘い声で囁かれて、負けたと思った。
伝える前に、やっぱり剛には悟られてしまう。
「シャワー終わる前には来てな」
「おう、俺の大事な王子様が湯冷めする前に連れて帰るわ」
それから下らないやり取りをして、電話を切った。
折り畳んだ携帯を両手で握り締める。
稽古場に戻りながら思った。
俺は、怖くない。
剛がいる。剛が思っていてくれる。
俺は、幾らでも強くなれた。
生きる事に迷いはない。
最後の瞬間を確約されているのなら。
強く生きて行こうと思った。
途中で何が書きたいのか、分からなくなった……。
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祈るのは、彼の為なんかじゃなかった。
唯ひたすら己の逃避と追憶だけに。
光一、お前の為だけに生きるから。
お前はその空の上から、いつまでも俺を許さずにいて欲しい。
細い首に手を掛けた俺ですら、生き続けて欲しいと願った残酷な恋人。
目を閉じて、俺の世界の全てを受け入れた。
そんな風に愛して欲しかった訳じゃないと、今は言えるのに。
俺に全てを預けた貴方は、優しく笑った。
「お前のもんに、やっと、なれるんやね……」
囁いた言葉が、静かな部屋で今も充満していた。
指先には、彼の頸動脈の感触がある。
光一を自分の物にしたくて、誰にも見せたくなくて、いつまでもその瞳に自分一人を映したかった。
願いは叶ったと言うのに。
何故僕は、こんなに哀しいのだろう。
ああ、また暗い……。
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年末のコンサート用のリハーサル室には、連日入れ替わり立ち替わりスタッフが出入りしていた。
メインである二人も時間の許す限り、この部屋で細かい調整を行っている。
この時期、暇な事時間のない光一は、張り詰めた表情でスタッフと話し合っていた。
「こーいち」
緊張感のない声は、すぐ近くで聞こえる。
耳の真後ろ。
集中していた神経が、一瞬にして霧散した。
ぞくりとする感触はもはや条件反射だ。
「仕事中」
「つれへんねえ」
「阿呆か。お前につれられてる暇はないねん」
視線を机上に留めたのは、正しい判断だったと思う。
目を、見ては駄目だ。
「やってー、ダンスもう飽きたんやもんー」
「俺はまだやから、俺のも覚えて。後で教えて」
「……お前、どんだけ王子やねん」
呆れた声が優しくて、ちらりと視線を上げてしまった。
たまに剛は木漏れ日みたいな暖かい温度で言葉を発する。
とうになくしてしまった筈のその温度を懐かしく思う自分は、虚しいだけなのに。
今ある、二人の間に存在する空気だけを大切に抱き締めるべきだ。
「光ちゃんー。休憩ー」
「馬鹿、そんなん却下。時間ないの知ってるやろ」
「いつもよりは時間取ってるやん」
「いつもが少な過ぎるんや。ほら、も少し頑張れって」
促された剛は、渋々とまたダンスレッスンに戻って行く。
本気で自分のパートを覚えてくれる様で、真剣に先刻とは対称の振り付けを踊り始めた。
その背中を10秒だけ見詰めてから、また話し合いへと意識を戻す。
一緒に過ごせる冬は、しんどくても楽しかった。
剛が此処にいると、嬉しい。
昼食の時間をとうに過ぎた午後三時。
スタッフの一人が、休憩にしましょうと仕出し弁当を持って来た。
最近は、弁当も温かくて少しだけ健康的な気分になる。
そんなのは気のせいだ、もっと身体に気を遣え、と彼には怒られてしまうけれど。
ずっと踊り続けていた剛は、タオルで汗を拭いながら真っ直ぐ自分の元へやって来る。
その動きを把握していたから、弁当は二人分置いてもらった。
目が合った瞬間、優しく笑う。
痛みを抱えていないその顔は穏やかだった。
いつの間に、そんな表情を取り戻していたのだろう。
「お前なー、汗かいてんのに帽子被んのやめぇや」
「ええやん、ファッションやん」
「こんなとこでファッションも何もないやろ」
ついつい会話が悪態をつく様な状態になってしまうのは、もう仕方なかった。
周囲の人間も今更そんな事に気を止める事はない。
毛先まで濡れているのに、適当に拭いただけの頭に帽子を乗せる神経が信じられなかった。
「お前、禿げるで」
「いやいや、少なくとも光一さんよりは後ですわ」
テーブルに対して横向きで座っていた俺の(それは剛を迎える為だった)真正面、テーブルの配置からすれば隣の椅子に腰掛ける。
タンクトップを着た上半身は、熱気を放っていた。
こーゆー姿が男らしいんよな。
心の中だけで思って、そっと見詰める。
まあ結局は、唯彼の事が好きなだけかも知れない。
痘痕もえくぼ、蓼食う虫も好きずき、と行った所か。
弁当を渡して、一緒に食べ始める。
「好きな人の顔見ながら食べるんは、美味しいね」
「……阿呆」
俺達の悪態を見咎めないのと同様に、こんな会話すら無視して流してくれる。
それが果たして良い状態なのかどうかは別にして、周囲の慣れと甘やかしを感じた。
容認してくれるのは、多分きっと優しい感情があるからだった。
幸福な環境で仕事をさせてもらっている自覚はある。
剛の顔を見上げて、笑ってみた。
「なぁに、可愛い顔してんの」
「幸せやなあって」
「ん?」
「剛いて、皆いて、俺が此処にいんのが」
「……そうか」
良かったなと笑む顔が甘く蕩けそうだ。
当たり前みたいに、弁当の中身を交換しながら食べるその口の動きすら記憶する程見慣れた人なのに。
どうしてこんなに愛しいのだろう。
一口食べては俺が食べられる物か確認して、好きな味の物は直接口まで運ばれた。
「なん、これ?」
「なんやろ?魚?光一好きやで。はい」
「あー」
素直に食べさせてもらいながら、真っ直ぐ彼を見遣る。
其処に消えてしまいそうな色はなかった。
しっかりと生きようとする意思が溢れている。
大丈夫、と訳もなく思った。
自分は随分と、不安になる事に慣らされてしまっていたから。
たまにこうして確かめる。
「俺も幸せやよ」
「うん」
「でも、ちょっとあかんな」
「……何が?」
「可愛過ぎ」
粗方弁当を食べ終わった所で、箸ごと弁当を取り上げられた。
そろそろ持て余していた頃だったから別に構わないけれど、何がいけないのだろう。
剛も弁当を置いて、それから慈しむ目で見下ろされる。
立っていれば平気なのだけれど、座っていると何故か彼を見上げてしまう。
「光ちゃんが幸せなんは、嬉しいのよ」
「うん」
「やけどなあ……」
「?」
「俺が、独占欲強いの知ってるやろ」
独占欲の強さも、羞恥心のなさも知っている。
少なくとも、これだけの人間がいる中で言う台詞ではないと思った。
別に、今更どうって事ないけれど。
他人に何を思われても、貫く意志は随分昔に固めてしまった。
ふう、と溜息を一つ零して、徐に剛は自分の帽子を外す。
そのまま立ち上がって、至近距離に立たれた。
自分達の距離は、多分いつも近い。
二人で生きて行く事を決めた故の距離だと思っている。
どんな時でも手を伸ばせば届く様に、俺達は近くにいた。
見下ろす剛の瞳は、曖昧に曇っている。
優しくしたいのか、乱暴に抱き寄せたいのかを決め倦ねている様な。
お前がしてくれるのなら、どっちでも良いなんて。
言ったら調子に乗るだろうか。
もう一歩踏み込んで、結局乱暴な仕草で左手に持った帽子を深く被された。
大概彼の行動は意味が分からないけれど、今も全く持って分からない。
意味不明だ。
「剛?」
視界を遮られて、帽子を外そうと両手で剛の手を探す。
あっさり捕まえた彼の手は、けれど動いてくれる気はないらしい。
柔らかな素材の帽子は、鼻の辺りまでを隠して俺の動きを封じた。
どうして、今の会話の流れでこうなるのやら。
「剛、これ何」
「んー。何って言われてもなあ」
「つよし」
「あんなあ、たまになあ」
甘えた口調は要注意。
長年の経験から言えば、うっかり絆されてはいけないと言う事だ。
「お前ん事誰にも見せたくなくなるねん」
「……お前はまた、そーゆー無茶な事平気で言うなあ」
人に見られる仕事をしているのに、そんなのどうにもならないではないか。
何度言っても、この理不尽な独占欲は治らない。
こんな帽子で隠しても、仕様がないのに。
周りは見ない振りをしてくれるけれど、さすがにこれは自分が見ない振りを出来ない。
「見られるん、仕事やろ?」
「分かっとる。でも、今の光ちゃん可愛かったから、今誰にも見せたくなくなったの」
「……俺は可愛くないって」
「可愛いで。大丈夫、ホントはちゃんと分かってんねん、無理な事。でも、今やりたくなってん」
もうそんなに子供ではないと暗に言って、大人びた声を響かせた。
どうにもならん感情が恋やないの?
いつか言われた言葉が、耳の内側で蘇る。
「光ちゃんが、俺に全部ちゃんとくれてんの分かってるよ。仕事のお前は、誰のもんでもないけど、それ以外は全部俺のや」
「……うん」
不本意だけれど、俺はきっと間違いなく剛の物だった。
この身体を心をほとんど預けてしまった。
それでも良いと思えた、最初で最後の人。
ゆっくりと帽子を外して、その代わり立ったままの剛に緩く抱き締められた。
「俺、子供やねん。光ちゃんが良い顔してると閉じ込めたくなる」
「しょぉのない子やね」
「そうや。いつまでたっても大人になんかなれん」
「ええよ。剛はそのまんまで」
不意に可愛がりたい気持ちが込み上げて来て、剛の腰に腕を回して引き寄せた。
変わらなくて良い。
そのまま、傍若無人に愛して欲しい。
「……光一さん」
「えっ?」
完璧に周囲を遮断していたせいか、他人の声が酷く鮮明に耳に届く。
抱き締めた腕を解いて、けれど剛は離してくれなくて、納まった状態のまま声の方向を振り返った。
「なん?」
「否、剛さんはいつもの事としても……」
「んー?」
「そこで光一さんに止めてもらわないと、俺達どうしたら良いかわかんないんすけど」
メインの二人が、二人の世界でまったりされたら周囲は敵わない。
幾ら慣れた状態とは言え、再開の声を掛けられないのは辛かった。
「あーすまんすまん。ちょぉ忘れてた」
悪びれない声で光一は笑った。
その笑顔は犯罪な位可愛くて、それ以上の反論の言葉を許さない。
絶対にこの人が最強だと思った事は、胸の中だけに留めておいた。
「ほら、剛。始めんで。俺んパート教えて」
猛獣使いの様な鮮やかさで剛を懐柔すると、何事もなかったかの様にその腕から抜け出す。
情けない顔をする恋人の肩に軽く額を乗せて甘える仕草。
それだけで機嫌が直るなら安い物だ。
幸福な場所で生きている。
愛しい人と手を繋いで、いつまでも。
笑っていられたら良いのにと、柄にもなく夢を見た。
また無駄に長い(^^;
どんなに忙しくても甘い生活を送れていると良いなあなんて。
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会いたい。
そう思う気持ちを抑える事に、随分と慣れてしまった。
だから、会わないまま日々を過ごす事にも苦痛を感じなくなった筈なのに。
同じ様に、剛は言わない俺の気持ちを汲み取る事に慣れてしまったのだ。
今日も言葉には出さなかったし、メールも電話もしていない。
それなのに。
さり気なさを装って現れた恋人の姿を認めて零した吐息は、安堵のそれだった。
都心に住むのは本当は嫌だった。
何故こんな所に住もうと決意したのか自分でも不思議な位だが、単純明快な理由が一つ。
光一の家に近かったからだ。
先日打ち合わせで一緒になった時に、彼は薄手のシャツ一枚でやって来た。
11月の半ばともなれば、いい加減コートは必需品である。
剛は勿論、冬のコーディネイトを楽しんでいた。
幾ら室内の往復しかしない生活だと言っても、これではあんまりだ。
さり気なく注意した所、返って来たのは剛の胸を痛めるのに充分な言葉だった。
「え?今、何月?」
もうすぐ自分達のCDが発売される事は分かっているし、コンサートまでのスケジュールも把握していた。
それが日にちの概念なく構築されているのだと思うと、泣きたくなる。
彼だけが悪い訳じゃなかった。
こうやって育ててしまったのは環境だったり剛だったりするから、何も言えない。
唯黙って着せた自分の上着に少しだけ曇った瞳を見せた。
自然に追い付けない事、日常を忘れてしまう事。
彼自身が望んだ姿ではない。
そんな事があったのは、先週の始めの事。
仕事ですら会えない日々も日常で、気に留める事もなかったのに。
今朝、起きたら何となく。
彼が呼んでいる様な気がした。
勘と呼ぶには心許ない感覚は、けれど一度も外した事がない。
仕事を終えて、真っ直ぐ彼のマンションに向かった。
インタフォン越しに聞こえた声の柔さに確信を深めて、剛は光一をデートへと誘ったのだ。
自宅から歩いて来られるこのデートスポットは、最近のお気に入りだった。
青い光を基調とした町並みが冷たくも優しい。
適度に突き放されるこの街の温度を、剛は苦手と思わなくなっていた。
本当は気付いていないだけだったのだと思う。
自分の故郷も異国の地とさえ思っていたこの場所も、同じだと言う事に。
何処にいても自分が変わる訳じゃない。
何処にいても、彼は此処にいる。
「きれーやなあ」
「せやろ。光一、来た事あったか?」
「お前がそれ聞くんかー」
「いやいや、光一さんもてるからね。俺やなくても誰かと来てるかも知れんやん」
「……仕事以外で、こんなとこ来るかい」
「ぉん、そーやね」
知ってたわ、と笑う息が白かった。
青いイルミネーションの中を二人歩いているなんて、どう考えても酔狂過ぎる。
光一には、完璧な厚着と変装をさせた。
目深に被った帽子から覗く毛先と唇が可愛らしい。
もうすぐ27になる男に、こう言う事思うんが間違ってるんかな。
でも、自分の中にある数少ない穏やかな感情だったから、否定する事はもうやめた。
自分は普段とは逆に黒で統一している。
シンプルな装いは、普段の印象が強い分ばれる危険が低かった。
冬の遊歩道を二人寄り添って歩く。
そんな当たり前の日常を、光一が怖がらなくなっただけでも嬉しかった。
人と擦れ違う時に俯いて近付く横顔が愛おしい。
「光ちゃん、寒ない?」
「……うん。剛は?」
「平気やで」
嫌がる光一の指先に嵌めた手袋は、剛がして来た物で。
ほんの少し手が凍えていたけれど、構わなかった。
彼が温かい方が良い。
「もうこれ、クリスマス用?」
「多分。年中此処はクリスマスっぽいけどなあ」
痩せた枝に巻かれた電飾が寒々しくて、光一は好きじゃなかった。
舞台の上の人工の美しさには心惹かれる癖に、こう言うのを嫌うのは矛盾しているのかも知れないけれど。
自然のままで美しい物を飾り立てるのがあかんのやろな。
それでも、剛と歩くと綺麗に見えるのだから不思議だ。
彼といると、世界が少し優しく映る。
少し前を歩く剛の指先が白くなっていた。
凍えさせたのは自分だから、申し訳なくなってそっとその手を握った。
毛糸越しの感触。
少し遠い感覚でも分かる彼の指先の形。
全てを明確に記憶している錯覚に陥って、恥ずかしくなった。
「光一?」
「な、なに……?」
「ええの?」
強く手を握り返されて、返した声は少し震えている。
唯寒いのが可哀相だと思って伸ばした手が、意味を持ってしまいそうだった。
こんな人のいる所で不用意にして良い行為ではなかったのに。
「……ごめんな。今ちょっと嬉しくなってもうただけやねん」
「つよ」
「光ちゃん困らせたい訳やなかった。ごめん」
剛は、優しく笑う術を身に付けてしまったから。
本当は今、何を思っているのか読み取る事が出来ない。
「剛」
焦れて名前を呼ぶ。
違う。違う。
伸ばした指に意味なんてなかった。
もっとずっと前から、意識なんてない内から手を繋ぐ前から欲していたよ。
剛の手袋は温かくて、でもお前の指が凍えていたら俺も寒い。
望んでいない訳じゃない。
でも、剛を嬉しがらせたかった訳でもない。
こんな思いを、どうやって言えば良い。
「剛、俺……」
また困らせてしまった、と剛は自嘲する。
無自覚でも良いと教えたのは自分だった。
お前は欲求を隠す子だから、俺が見付けてやる。
そう言ったのは、俺なのに。
自覚させるまで、放ってしまった。
「光一、手袋返して」
「……?」
「片方でええから」
「う、ん」
素直に外し始めた光一の指先は、白い。
青の照明がその白に反射して幻想的な色を見せた。
剛だけが知っているイルミネーションだと、馬鹿みたいな事を思う。
白いその手を取って、裏通りに入った。
小さな青い町並みを外れれば、其処はいつも通りの冬の景色。
人気のない、夜の道だった。
黙ったまま手を引かれる事に不安を覚えたのか、光一がゆっくり立ち止まる。
「剛?」
「……うん」
「どしたん?俺、何かしてもうた?」
怒られると予感して、小さな声で問われた。
「ちゃうよ」
「じゃあ、何で」
「あんな明るいとこじゃ、イチャイチャ出来ひんやん」
振り返って、笑ってみせた。
その笑顔にもう騙されてはくれない事を知っていたけれど。
同じ様に素知らぬ振りで笑ってくれる恋人は、やっぱり優しい。
「イチャイチャ、したかったん?」
「そ」
言って、握ったままの手を恭しく持ち上げる。
お互いの視線まで上げたその白い指先にある桜貝の爪に優しく口付けた。
触れるだけの、粉雪の様な接触。
「……お前、カッコ付け過ぎ」
「好きやろ?こーゆー俺」
「そーゆー訳分からん自信が嫌いや」
頬を淡く染めて、光一が反論する。
青い明かりの消えた路地は、人の気配がなかった。
取り残された気分になって、白い溜息を零す。
触れられた爪先が、そこだけ熱を持っている様に感じた。
錯覚だと分かっているのに、不意に泣きたい気分を思い出す。
「剛」
「ん?」
吐息だけで構成された音は、夜の冷気に氷解した。
もう一度、口付ける。
その指先が震えるのを唇で感じた。
「……あかん」
「何が?」
優しく問う。
戸惑った光一の声。
顔を見たくて、深く被せた帽子を取った。
現れた彼の表情は、寒さで凍えている。
このまま外にいたら体調を崩すかも知れないと、今頃になって思い至った。
「あかんわ、俺」
「ん?」
「勘違い、しそうになる……」
唇を噛んで恐れる子供の表情。
真っ直ぐ見詰める黒目ばかりの瞳の憂い。
惹かれるまま、乾いた唇を潤す様に口付けた。
素直に答える彼の指先が緩く剛に縋る。
「どうしたん、光ちゃん」
「俺、お前にそんな風にされたら……」
「そんな、って?」
指先を握り締める仕草で、爪の先の口付けの事だと理解する。
悪戯心を起こしてもう一度握り込まれた手に音を立ててキスすると、くしゃりとその美しい顔を歪めた。
「やから、あかんって」
「何があかんの?言わな分からんよ」
「こんな時ばっか、そんなん狡い……」
本当は分かっているのに、分かって欲しくない所まで暴く癖に。
言いたくない時ばかり口に出させようとする。
悪趣味だ。
取られたままの指先が温かい。
寒くて凍えそうなのに、触れられた部分だけ発熱した様に温度を持っていた。
冷えた身体に一点の熱。
間違えてしまいそうだ。
「別に怖い事ないから、ちゃんと言うてみ」
「……嫌わん?」
「当たり前やん」
相変わらず子供みたいな事を言う子だと苦笑する。
「……俺、お前しかいらん様になりそうや」
呟いた言葉は、白い息と共に夜の路地に流れて行った。
その意味を、自分は今どれ位分かっているだろうか。
「こんな風に、お前しかあったかいもんないと、分からんくなる」
噛み締めた唇は色を失っていた。
冷え切っている彼の体温を保っているもの。
「剛しか、欲しいもんがないみたいや」
静かに囁く言葉に温度はない。
氷点下の告白。
繋いだ指先に灯る熱。
冷え切った身体にある、唯一の。
冬の温度が生み出す錯覚は、光一を混乱させた。
青い光、久しぶりに感じる外気、不用意に繋いだ指先、連れ込んだ路地の暗さ。
彼の錯覚は、自分の責任だ。
お互いしか必要じゃないなんて、そんな幻想。
とっくの昔に捨て去ったのに。
「ごめんな。謝るのは俺や。まだ、お前ばっか必要としてまう……」
ゆっくりと繋いだ手を離そうとして、逆に包み込まれる。
「ええよ。ちゃんと俺ら分かってるやん。大事な物が一つやないって。それでも、たまに勘違いするんやったらええやんか」
もう一度、唇にキスを。
「俺は嬉しい」
飽き足らず、暗い道の影で触れるだけのキスを繰り返す。
頬に、瞼に、耳に、眉間に、鼻先に。
そうして、温もりを灯して行く。
世界中に温かい物が俺しかなくなって構わんよ。
本当は、今も俺だけでお前を一杯にしてしまいたいと思う自分がいるよ。
光一しか欲しくない。
ずっとずっと、心の中で思っている傲慢な俺がいる。
会いたいと思って言えないその孤高の精神も、無自覚にしか甘えられない幼さも、不安げに見詰める瞳の困惑も、全て。
俺だけの物にしてしまいたいよ。
「そろそろ、帰ろか」
「ん」
片方ずつ手袋を嵌めて、外気に晒された手はしっかりと繋いで。
今夜だけは、この悲しい錯覚が介在して欲しいとひっそり願った。
halfwayにしては、ちょっと長過ぎたか(^^;
ヒルズ妄想です。
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