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2025/05/25

halfway tale 52





 それはほんの気まぐれだった。
 仕事が日付を越える前に終わって、疲れた身体を連れて帰ればすぐにでもベッドに潜り込める。けれど、一人の部屋で休むよりたった一人に会いたい欲求の方が強かった。
 見飽きた顔を見て、やつれた頬に触れて、何でもない顔で笑う。
 それから。その先を思い付かないまま、マネージャーに車を彼のいる劇場まで回して貰った。
 さすがに彼も文句は言わない。いつも厳しい人だけど、家に帰る事だけが休息ではないと知っていた。
 暫くぶりに踏み入れた場所の神聖さに躊躇せず、真っ直ぐ座長の楽屋へと向かう。
 出迎えた最愛の人は疲れた表情を隠せないままだったけれど、アイスクリームが蕩けるみたいな笑顔で迎えてくれた。その愛らしさにほっとして、言葉もなく連れ帰る。ずっと彼は静かに笑っていた。
 唯一つ気になったのは、年々彼の大事にしているカンパニーの風当たりが強くなっている事だ。最初は気のせいだと思って気にも留めていなかったけど、さすがにこのあからさまな空気はきつい。
 愛されているのだなあと思う親心と、常に一緒にいる彼らへの敵対心と、剛の気持ちはいつでも紙一重だった。
+++++
 自分の部屋に連れて帰って、まずは風呂に入れた。疲労を蓄積した身体は素直に俺に預けられる。普段は「お前も疲れてるのに」だの「恥ずかしい」だのとごねて、一苦労だった。
 それでもさすがに終盤を越えた舞台は、強がりさえ許さない。他人の手に自分を委ねるのは、恋人であってもなかなか出来ないのに、入浴剤を入れたバスタブに沈む身体は驚く程従順だった。
 風呂上がりの桃色の肌を柔らかいバスローブで包んで、ソファに座らせると丁寧に髪を乾かす。
 自身の疲れは澱のように腹の底にあるけれど、恋人に手を掛けてやれば心臓に巣喰った醜悪な感情がそっと浄化されて行った。自分にも彼にも必要な行為なのだ。
 甘やかして甘やかされる。
 相互依存の関係を互いに許す一時。
 光一は気持ち良さそうに目を閉じたまま。自分はきっと、呆れる位優しい顔をしている。
 何も食べないと言い張る彼の強情に早々に諦めて、寝室へと運んだ。きゅっと抱き着いた仕草が可愛らしい。
 いつまで彼は可愛いままでいるのだろう。そう問えば、「俺を可愛いなんて言う阿呆はお前だけや」なんて憎まれ口を叩くだろうけど。
 ベッドに降ろして、何気なくその細い筋張った足を見遣る。
「あ、光ちゃん」
「……なん?」
 ほとんど眠りに引き込まれた声音で返される。清潔なシーツに押し付けられた頬はあどけなかった。
 瞳を隠す飴色の髪を梳いて、小さく笑ってみせる。
「足の爪、伸びてる」
「ああ。何かなあ、親指の爪取れてもうたやろ?したら、色々力入らんねん」
 邪気なく笑った光一の表情は穏やかだった。
 舞台の上で負った傷を、彼は傷と思わない。背中の痣も、打ち付けた足も何一つ。
 自分を大切にしない光一に苛立った時期もあった。今更もう、彼の事に口を出す気はない。
 身体の痛みより、もっと深い痛みに気付いていた。目に見える傷なら癒す事が出来るけど、心臓の奥深くに付けられた傷は一生消えない。
 その傷の中にはきっと、自分が付けたものもあるのだろう。口には出さずに、捨ててしまえば良いそんな全てを大事に抱えて生きている人だ。
 おざなりに巻かれた親指のテーピング。変色して消えるのを待つだけの背中。
 眠りの淵にいる彼の表情に痛みはなかった。
 それが余計辛い。
「つぉし?」
「……おっちゃんが、爪削ったるわ」
 自分が抱えるのは、身勝手な感傷だった。
 光一はきっと、倒れても走り続ける。打ちのめされても何を失っても、必ず立ち上がる。そんな彼が好きだった。
 だから、自分は何も言わない。唯、走り続ける彼の一番近くに寄り添うだけ。誰にも踏み込めない、その深層を共有すれば良かった。
 一度寝室を離れて、爪やすりを取って来る。嫌がるかな、とも思ったけど、ついでに透明な壜も手にした。
 寝室に戻ると、ベッドの上の人はほとんど夢の中だ。無防備に投げ出された手が緩く閉じられている。眠るこの時間だけ、光一は何の不安もない子供に戻るのだ。
「……ん、つょ?」
「寝とってええよ」
「ん、ごめ……」
 言い終わる前に瞼が下ろされた。規則正しく刻まれる心拍を掌で確認して、右足を自分の膝の上に乗せる。
 少し乾燥した感触に眉を顰めると、そのまま甲の骨の筋を辿った。性的な接触ではない。唯労る仕草で。
 丁寧に爪の一つ一つを削って行く。爪が伸びてるのなんて絶対嫌がる癖に、そんな日常の事も出来なくなる位酷い怪我をしているのだと言う事を認めなかった。
 両方の爪を綺麗に短く揃えて、少し悩んだ後持って来た壜の蓋を開ける。きっとこれなら光一は気付かないだろう。気付くのは、衣装さんかマネージャーか、もしくは秋山か。
 幼い独占欲なのは分かっている。今更こんな事をしなくても、あそこにいる人間はこの座長が誰を一番に思っているかちゃんと知っていた。
 だからこれは、正真正銘唯の自分の我儘。指摘されて気付いた光一が、小さく悪態を吐く様を思い浮かべてひっそり笑った。静寂に紛れたその声は、今日一番狡くて自分らしい。
 蓋を閉めて、サイドランプに反射する指先を見詰めた。きらきらきらきらと、柔らかく煌めく透明な光。
 光一にばれないように、左の甲に口付けを落とした。彼は、自分が服従する事を例えふざけた仕草であっても嫌がる人だから。
 でも、此処にあるのは愛しい愛しいと言う心。
 腹の底に沈んだ澱が静かに綺麗な七色へ変化する感触。一人で闘えば闘っただけ、自分は醜くなって行く。
 それすら人間の魅力だと思ってはいるけれど、汚い物ばかりをその瞳に映しても濁らなかった彼を見るとほんの少しだけ、自分が可哀相に思えた。
 七色の澱は、消えずに体内にある。何度光一に触れても癒される事のない穢れ。それで良かった。だから俺達は二人で、寂しさを持て余しながら一緒に生きて行くのだ。
 きらきらの爪が完全に乾くのを見届けてから、剛は光一の隣に潜り込んだ。温かい身体。無意識なのだろう、自分の感触を敏感に捕まえて、細い腕が抱き締める為に伸ばされた。
 彼が優しいと思うのはこんな瞬間だ。呆れる程の愛情に泣かされるのはいつもの事。
 傷付いた指先を包み込んで、自分の七色が彼を蝕まないように慎重に抱いた。二つの身体がせめて、この夜を越えるまで一つになれば良い。
 規則正しい呼吸に誘われて、同じ夢に引き込まれて行った。別々の体温を同じ温度へ上げて行く。
 ライトを消しても、光一の指先は淡く発光しているような気がした。



人に足を預けるのって、一番無防備な姿だなあと。


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2011/02/11 halfwaytale Trackback() Comment(0)

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